夢千代の里 山陰の秘湯 湯村温泉から車で10分
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  • 2018.01.18
    • 道しるべ
    仏教の楽しさとリアルへの生かし方

     住職になって以来いつも考えることは、寺院の存在、僧侶の存在が、この世の中でどういう風に必要とされ、どう生かしていけるかっていうこと。

     お寺なんてなくても困らない。僧侶などいてもいなくても同じだと思う人は、確実に増えてきていると推察してる。
     それは新しい世代の宗教心がなくなったのでもなんでもなく、そこに仏教の魅力溢れる姿を提示できなかった我々の方に責任があるのかなと受け止めてる。
     楽しくないとやる気にならないよね。

     というわけで、仏教の楽しさ、素晴らしさとともに、日常生活にどう生かしていけるかを皆さんに機会あるごとに少しずつでもお話ししていければって思ってる。

     仏教でも座禅に重きを置く宗派もあれば、念仏に重きを置く宗派もあり、その中で我々は「真言宗」という宗派の名の示す通り、真言(マントラ)という「光の言葉」「真実の言葉」を大切にしてるんだ。
     印を結び(身)、真言を唱え(口)、イメージをする(意)という三つの行いを、この大宇宙(大日如来)の生命と一体化させることを実践してる。

     身口意の三つの行いのことを三密という。
    私たちは、三つの体が重なりあって生きているという。

     まず肉体があって、そしてその中に通っている気があって(気体)、そして流れてくる意識が留められ(意識体)、一人の人間が「生きている」ということになる。
     だから、みんなもそれぞれ体の健康を保つためにスポーツをしたり鍼灸を受けたりいろいろと試されていると思うんだけど、我々の三密実践は、肉体と気体と意識体の全てがクリア(清浄)に保てるようにアプローチしてる。

     実は僕自身が不眠症になったりして、なにかと不健康だったので、健康に戻るべくいろいろと検証していったところ、たどり着いた答えは自身の進んだ道の上にあったってわけ。
     今まで「真言」の三密実践の真の効能に気づいていなかったんだけど、もしかすると僕の体はそれを実験するためにあったのかな。

     まずはみんなにも「印を結ぶ」「真言を唱える」「イメージする」という三密を実際にやってみてもらおうと思う。

     「印を結ぶ」っていうのは「合掌」が最も皆さんにとって親しみやすい形なんじゃないかな。肉体からのアプローチであり、合掌するだけで散ってしまいやすい気が集中し、イメージがしやすくなるはずだよ。
     合掌するだけで静かな気持ちになるって人も多いよ。

     「真言を唱える」というのは、気体からのアプローチ。
    まず姿勢を正し気の道筋が滞らないようにして、深くゆっくりと呼吸する。
     そして言葉に乗せて気をしっかりと通してやるんだ。
    普段から言いたいことをちゃんと表現できてる?
     滞れば言葉も体の中で腐っちゃうので、腹の底から全ての溜めているものを真言とともに腹の底から出してしまいたいね。
     真言は闇を光に変える光明真言をお勧めするよ。
    「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん」。

     「イメージする」というのは、意識体からのアプローチ。
    よく「意識するということが大切なのです」などと一般的にも使われるんだけど、人の生き方はどんな意識でいられるかで変わるのだろう。
     みんなには「守られているから大丈夫。きっとうまくいく」というイメージを胸に抱いてほしい。
     「この世界は楽しいこともあれば悲しいこともある。つらいこともあれば喜びあふれることもありるよ。でもどんなことがあっても今までなんだかんだみんなが命をつないできたじゃないか。なんとかなってきたし、これからもなんとかなるさ」という、そんな小さな自己から離れた大いなる視点で見るからこそのイメージでね。

     ここまで難しそうに書いてきたけれど簡単だよ。
    合掌をして、光明真言を唱えながら、「守られているから大丈夫。きっとうまくいく」とイメージすること。
     ただこれを繰り返していくだけでとても静かで安定した心を手に入れることができるだろう。

     考えてみると贅沢だね。
     僕は僧侶という職業についているおかげで、朝には静かな読経瞑想の時間が割け、心の穏やか且つ集中へと向かうことができてる。
     取り越し苦労ばかりしていた僕が、不安に焦点を当てるより大丈夫という安心を観れるようになってもきた。
     夫婦喧嘩や家族の揉め事などでイライラした時も、読経瞑想をした後には冷静になれ、もっと伝わりやすい言い方があったかもしれないなという気持ちになったことも一度や二度ではないもん。

     特に、現代はストレス社会と言われているらしいね。
    気の体の乱れで、呼吸が浅くなってない?
    意識の体の乱れで、「どうしようもない不安」に苛まれていない?
    よく眠れてる?
     どうか一日に一度、ほんの少しの間だけでも三密実践の時間を作ってもらえたらな~と思う。

     もしそれも無理という方は、一分間瞑想もおススメなんだけどね。
     椅子に腰かけて目を閉じ、ゆっくりと呼吸しながら、目をつぶったまま両目で眉間に視点を合わせて見続ける。そこに光の輪を作るんだ。
     まずはこれだけでいいかな。
    これだけでも睡眠の質はずっとよくなるはず。
     十年近くも続いた不眠症の僕が、今では八時間でも眠ることができるんだから、試してみる価値はあるんじゃないかな。

     さて、「真言」を唱えることは自分の心の揺るぎない安らぎを得ることが目的になるわけだけど、そこを起点とした自分発の響きは周囲に波及する。
     「世界はひとつの歌」という表現を聞いたことがあるかな?
    僕も詳しくは説明できないんだけど、僕たちを構成している物質で最小のものは、振動する弦(ひも)のようなものだという説が現在主流になってきてるみたい。
     この僕たちの大きな世界が弦によって奏でられる一つの歌であるという考え方と、心理学者アドラーの「臆病は伝染する。そして勇気も伝染する」という言葉が、今の僕の心の支えになっていることは間違いない。
     それは大日如来の世界観にもしっくりとくる。

     僕はいつも法事などで皆さんとともに読経をするとき、その仏様の光の言葉を、自分自身の弦に強く弾かせるように意識してる。
     揺るぎない安心、勇気の波を送っているんだよ。
    法事の際、「すごく声が響いて、こちらにまで振動が伝わりますね」とある方からお褒めいただき嬉しかったんだけどね、まさにそれが僕の目指すところなんだ。
     僕たちってね、すぐにその臆病な振動にばかり意識を合わせてしまいそうになっちゃうんだけど、勇気の振動を響かせて、みんなの細胞レベルにそれを届けたいと願っているんだ。
     経典の中にも「不動」「金剛」などの言葉で揺るぎない心を表現されているんだけど、僕自身が「大丈夫だからやってみよう!」っていう振動そのものでありたいな。

     法事の構成は、まず僕のお経独唱から始まる。
    そのみんなにとっての空白なる時間は、あぐらなどリラックスしやすい姿勢をとってもらってもいいし、少し体に負荷をかける程度に正座で自分の中心に芯を通してもらってもいい。
     ただ声の響きに心を澄ませ、僕が放つ振動を、しっかりと感じ受け取る時間にしてもらえればって思うよ。

     以上、真言の効果、その素晴らしさについて書いてきたつもりだけど、伝わったかな。
     仏事の煩わしさを感じられる方もあるかもしれないけれど、それはそれで素直な感情なのかもしれないね。
     だけどそれを上回る仏事の素晴らしさ、法事をしてよかったなと思う時間が提供できれば、自ずと仏事をしたいという気持ちが芽生えてくるんじゃないだろうか。

     最後にもう一つだけ。
    仏(ブッダ)とは「目覚めた人」と訳される。
     ほかでもない自分自身のことだよ。
    「させられる」という受動的な生き方から「する」という能動的な人生へのシフトがそのスタートであると僕は理解してる。
     すべての出来事を自己の責任として受け入れ、自分の観方次第で世界はいかようにでも色づきを変えるということを知っておいていただければな~と思う。

     この夏こんなことがあった。
     子供たちと早くお風呂に入って、その後で花火をしようという約束をしてた。
    それなのになんだかんだとダラダラし続けた次女。
     お風呂に入ってこないので、「約束を守らないなら花火はしたくない」という旨を伝えると、次女は大愚図りで言った。
     「お母ちゃんがしてくれなかったから。お母ちゃんのせいだ。」
     「お母ちゃんは関係ないでしょ。だってお母ちゃんは何にも知らないのに」と返す妻。
     それでも「おかあちゃんのせいだ」と言い続けて、自分の行動を省みない姿に僕は苛立ちをぶつけた。
     「人のせいにするなよ。自分のせいだろ!」と。

     僕はずっと「人のせいにしてはならない」と厳しく言われて育った。
     もしかしたら子供のころに同じように人のせいにして怒られた自分自身の姿を重ねているのかもしれない。
     それにこの日は忙しくて、心の余裕がなかったこともあるのかもしれない。
     とにかく必要以上に次女に対してイラついて、それを大声で言葉に込めたんだった。
     「あ~もう嫌だ。今日は花火する気がなくなったわ!」

     それを聞いた次女は泣きそうな声で聞いてくる。
    「なんでお父ちゃん怒ってるん?」
    「それはまゆが自分のせいなのに人のせいにするからだろ!」
    「そんなのお父ちゃんだって、まゆのせいにしとるが・・・」
     涙で消え入りそうなその言葉を聞いた瞬間、僕は固まってしまった。

     僕自身も人のせいにしてる?
    ハッとした。ほんとだ、次女の言う通りだと。
     僕は自分のご機嫌を他人のせいにしている事実に愕然とした。
    その時初めて「人のせいにしない」ということを口先だけで使っていた自分に気づいたのだった。
     それ以降、他者に「人のせいにするな」と干渉するよりも、自分がそれを実践していくのが大切と心から思えるようになった。

     ほとんどの人は、自分のことを棚に上げて「あの人はああだ。あの人はこうだ。」と他者を変えようと一生懸命になっている。
     他者の悪いところことが気になるということは、自分の中にそれがあるということ。それをしっかりと見極め、自分を修養していきたいものだ。
     仏とは「究極的自己」の姿なのだから。

     こういうお話をすると、「そうそうあの人は人の悪いところばかり指摘するんですよ」という他者の感想を述べられる人がおられるんだけど、そこで「あ、それって自分のことだな」と気づくことはほとんどない。
     僕も随分と「人のせいにするな。」と他人に注意したり怒ったりしてきたんだけど、僕自身がなにかと人のせいにして過ごしている。
     それを今まで気付かずにいたんだよね。
    人のせいにしないことを本当に実践できたならすぐにでも仏になれそうなほどすごいことなのに、どうしてできるような気がしていたんだろう。

     これに気づけた今が僕にとってベストタイミングなのだろう。
    とにかく自分。自分次第。
     他者を裁くのはもうやめていくよ。
    自分の価値観を他者に押し付けるのももうやめていくよ。
     そうやってとことん自分を見つめ、自分の内面に気づいていく作業なのだろうね。

     すると世界はきっと変わると信じてる。
    この世界は自分の心を写す鏡の世界なのだから。

     仏教は、深くてとても面白い。
    そして能動的な自分に目覚めていくことは、生きる醍醐味だと僕は確信している。
     他者は変えられないけれども、自分の心の持ち方はその気になればすぐに変えることができる。
     イライラ、モヤモヤさせられる相手を通じてこそ自分を知るチャンス。
     そんな仏につながる道しるべのお話を、法事の席でできたらとても嬉しいな~と思ってるんだ~。

                      合掌

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    山地 弘純

    住職
    真言宗のお寺『善住寺』の住職。瞑想誘導、心の相談、陰陽統合セッション、カウンセリングなど心の寺子屋としての活動に力を入れる。夏休みの寺子屋体験、春休みのお遍路体験など、子供たちの集まる企画も大人気。大人も子供も笑顔をいっぱいに表現できるフィールドとしてお寺を活用していくべく邁進中。ブログは自己の気づきを綴る中に、生き方のヒントとして発信している。
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