「守らなくていいんだよ」
 感情の高ぶりを感じた時、そう呟いてみる。
  自分を守ろうとしている僕。
守らなくてもいいのに。
 決して傷ついたりしないのに。
 自我があるんだと執着するから傷つくのだろう。
ストレスも溜まるのだろう。
  自分と他人とに境なんてないんだ。
この積み上げた垣根が調和を乱しているんだ。
もし、無我なんだと感じることができれば傷つかないし、溜まらない。
  それが自然なメカニズムなのだと思う。
 今までとは視点を変えてみよう。
 固まった見方、考え方から離れてみよう。
  そんな時は、一切の転倒夢想を遠離するためのポーズをしてみる。
 するとどうなると思う?
 仮に地面に渦巻きがあるとする。
いつもそれは足元で左向きに渦巻いてるんだ。
それがさ、このポーズをとると頭上で右向きに渦巻いているよ。
  あれ、逆になってる!
 視点が変わると、いかに自分が執らわれていたかとわかって驚く。
 自分の通そうとしている正しさに執らわれていないかい。
きっと相手だって正しいんだ。
  不調和は、みんなみんな自分を守ろうというところから生まれている。
 自分を守りたいから必死で言い訳をしてみたり。
  自分を守りたいから他人のできないところを必死で探し、自分を上げようとしてみたり。
  自分のできないことは必死で隠そうとしてみたり、体裁ばかり気にしてみたり。
  相手の意見にかみついてみたり、ムキになって自分の意見を通そうとしてみたり。
 自分を守りたいから、他人の言葉にとても敏感で、責められてるんじゃないか、否定されてるんじゃないかとびくびくしていたり。
  それでいて責められて嫌なはずなのに否定されて悲しいはずなのに、それ以上に他人を責めたり否定したりしている自分がいる。
 そう、それは全て僕のこと。 
これらはすべて自分を守ろうとする我執だと、ようやく最近気づけた。
 ずっと封印してきた言葉がある。
 「山地はかっこつけだからだよ」
  不眠の修行時代に先輩から投げかけられたこの言葉を僕はずっと認められずにいた。
 何言ってるんだよ。僕なんかよりいい格好してる人はいっぱいいるし、むしろあんたの方がいい格好しぃじゃないか。
  僕は目立つのも抑えて、自分より他人のことを考えて行動している。
そんなわけない!
 ずっとそう思ってきた。
だけど僕がわかってなかった。
 僕が他人に優しくするのは人に優しくしてもらいたいから。
ほんとは格好つけなのに目立たないようにするのは、人からいい目で見られたいから。
 そうか、僕はこんなにも自分を守りたかったんだ。
 自我に執着してたんだ。
 「我執中和プログラム」構築中。
ヨーガの実践から無我を感じること。
そして感情の濁りを感じたその瞬間、「守らなくていいんだよ」って声をかけてあげること。
  実はそれだけで一気に穏やかな風が吹き抜けていくように感じる今日この頃。
 僕を不眠からも助けてくれたヨーガのポーズ。
これは頭頂の第7のチャクラに働きかけるという素晴らしいものだということも最近知った。
  軸は他人軸ではなく自分軸。
そしてその自分軸は、ただの自分勝手ではなく自他の境目を取っ払った際限ない広がりを見せる大いなる自分軸、つまり宇宙軸に繋がる。
  まさにエネルギーの溜まる場所であるチャクラに滞ったものを、自我という囲いを開いて、解放していこうってね。
 実はこれはこのポーズが気持ちいいとか美しいというより、今の視点と真反対から物事を見てみて~っていうメッセージ。
  その真反対の視点というのが無我。
 無我って自分がなくなりそうな誤解をまだ感じてる人いない?
そうじゃなくって自分がどんどん広がるってことだよ。
 自我に執着した閉じ切った自分。
それに対し、無我とは開いた自分。
 肉体ごとに境界線があるなんて、人間的視点なんだよ。
守らず、閉じずに、ただただ委ね、開こう。
 大丈夫だから。
 あなたもざわざわした感情が高まってきた時、つぶやいてほしい。
 「自分の何を守ろうとしているの?」
 「そこ気づいたらさ、もう守らなくていいんだよ」
 すると不思議。
高まった怒りも、どうしようもない悲しみも、
すっと引いていく。
山地 弘純
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